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平高望関連史跡 |
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平成15年11月24日 設置 |
| 龍田大社 末社下座の 今御前の社 (高望王社) |
奈良県生駒郡 三郷町立野 |
龍田大社の境内末社。 高望王夫人を祀る。 |
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| 住吉神社 | 岐阜県大野郡 丹生川村 折敷地 |
江戸時代の僧・円空作の、伝・高望王神像あり。 護法神像ともいう。 |
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| 高王山城跡 | 群馬県 沼田市 石墨町・ 発知新田町 |
嘉祥年間、葛原親王が迦葉山を開基した折、 葛原親王の家臣である迦葉田五郎を配置。 高見王・高望王(平高望)による築城説あり。 |
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| 浄華山善福寺 | 群馬県 利根郡 片品村 大字花咲 字上山崎 |
開創は元暦甲辰年、阿甫上人呑空大和尚により開山。 開基は桓武天皇の皇子・多嘉見王(法諡・朝見院殿一品法親王尊位)。 元暦年間と、桓武天皇の皇子との年代差あり。 高見王(桓武天皇の孫)または、葛原親王との関わりありか? |
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| 平塚の塚 | 神奈川県 平塚市 平塚 |
天安元年(857)二月二十五日、 平政子(高見王の娘で、平高望の姉妹。真砂子・砂子ともいう)、 東国下向の際、相模国平塚で薨去。 政子を埋葬した塚より「平塚」となる。 |
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| 宮前御霊神社 | 神奈川県 藤沢市 宮前 |
祭神;崇道天皇(桓武天皇の皇太弟・早良親王)・鎌倉権五郎景政・ 葛原親王・高見王・高望王。 天慶三年(940)、平(村岡・千葉)良文(高望王の子)により建立。 のちに鎌倉権五郎景政を合祀。 そののち、北条時頼(高望王の末裔にあたる)の命により、 葛原親王・高見王・高望王を合祀する。一説に、高座郡葛原皇子神社が、 村岡良文により分祀、「村岡御霊宮」が建立。 宮前御霊神社が「村岡御霊宮」であるといわれ、 村岡・鎌倉一族が勧請する御霊神社のもとになった宮という説あり。 |
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| 八坂神社 | 神奈川県 鎌倉市 扇ガ谷一丁目 |
祭神;素戔嗚尊・桓武天皇・葛原親王・高望王・相馬師常 別称;相馬天王・八坂大神 平高望の末裔である相馬次郎師常(千葉常胤の子)により、 建久三年(1192)屋敷地内に牛頭天王を勧進。 もと巽荒神の地にあったが、江戸時代に現在地に移築。 |
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| 恒持神社 | 埼玉県秩父市 山田 |
平高望の弟・恒望王を祀る。 大同元年(806)、恒望王(桓武平氏の祖である高望王の弟)は武蔵権守に補せられ、 官舎を山田郷新木(恒持神社の地)に置き、神沢(横瀬村)にあった高斯野社を官舎近くに移す。 高斯野社は、勅定高斯野社の社名を賜り、恒持庄十五か村の総鎮守となる。 恒望王の薨去後、恒望王を合祀し、恒持明神と号する。 |
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| 向嶽山光明寺 | 埼玉県秩父市 山田 |
大同二年(807)に没した恒望王(桓武平氏の祖である高望王の弟)の冥福を祈る祈願所として、 恒望王の邸跡に建立された光明庵の後身。 西新木向殿(恒持神社の南側)が旧地。 大同二年に薨去した伊予親王(葛原親王の異母兄で、平高望の大伯父)との関連ありか。 下記の華台山永福寺の伊予親王伝説参照。 |
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| 華台山永福寺 (西陽山永福寺) (童子堂) |
埼玉県秩父市 寺尾 |
大同二年(807)、三品式部卿伊予親王(淳和天皇の弟)の菩提を弔うため、遍照僧正が領主に命じて建立したという。 ※伊予親王は、淳和天皇の異母兄であるが、伝承では弟とする。 伊予親王は葛原親王の異母兄で、平高望の大伯父。 遍照僧正は、良岑安世(伊予親王の異母兄弟)の子である遍照僧正(遍昭・良岑宗貞)と同一か。 |
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| 大内沢 | 埼玉県東秩父村 大内沢 |
恒持王が住した所という。 | |
| 高貴山常楽院 (高山不動尊) |
埼玉県飯能市 高山 |
白雉五年(654)、長覚坊上人(藤原鎌足の子という)により開山。 秩父高篠に住した恒望王の子息により、追儺の法が伝わるという。 |
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| 阿豆佐美神社 | 東京都西多摩郡 瑞穂町殿ヶ谷 |
寛平年間(889〜898)、平高望の造営。 寛平四年(892)造営ともいう。 鎮守府将軍平良将が東夷征討に際し、祈願して勝利を得て、 太刀と二股の鞭竹を奉納。 平将門の絵馬あり。 |
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| 阿波洲神社 | 東京都西東京市 (旧保谷市) 新町二丁目 |
上保谷新田が開かれた後、宝暦年間(1751〜63)に創建された神社。 もと粟嶋の字があてられ、「あわす」でなく「あわしま」と読む。 平高望を祀る。 |
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| 信楽山宝樹院 無量寺 |
千葉県市原市 八幡 |
寛平二年(890)、上総介平高望により、 父・高見王の菩提を弔うため建立。 |
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| 平親王山 (菊間新皇塚古墳) |
千葉県 市原市 菊間 |
平将門が居城を構えたとき、菊間を都の北野に擬し、南方に奈良を置く。 将門塔の旧地。 一説に平高望墓所。 |
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| 上総国分寺 将門塔 |
千葉県 市原市 惣社 |
以前は平親王山(菊間新皇塚古墳)の墳丘部にあり。 平将門の供養塔と伝えられる宝篋印塔。 応安第五壬子(1372)十二月三日銘。 現在、上総国分寺仁王門脇にあり。 風邪に霊験あり。 一説に平高望の供養塔とも。 |
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| 上総国 国府 | 千葉県市原市 (比定地諸説あり) |
上総介平高望の赴任先。 | |
| 上総国分寺 (医王山清浄院国分寺) |
千葉県市原市 惣社 |
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| 上総国分尼寺 | 千葉県市原市 国分寺台中央3丁目 |
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| 上総国総社 | 千葉県市原市 (比定地諸説あり) |
戸隠神社(千葉県市原市惣社)とも、 飯香岡神社(千葉県市原市八幡)ともいう。 |
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| 成東八幡神社 | 千葉県 山武市 (旧山武郡 成東町) 大字成東 字根蔵 |
天安元年(857)葛原親王の第二皇子・兼高親王、故ありて下向。 天安二年(858)九月十一日、 兼高親王により一宇神殿を造り、神鏡を納め、勧請。 葛原親王による勧請説あり。 祭神:応神天皇(譽田別尊)、 毘め大神(多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命) 神功皇后(息長帯比賣命) 境外末社:疱瘡神社・浅間神社・日吉神社・愛宕神社・浅間神社・道祖神。 成東八幡神社の付近には、 延長六年(928)、平将門により堤「将門堤」が築かれたといわれ、 成東八幡神社には、平将門奉納の獅子一駆があったといわれる。 兼高親王が下向したといわれる天安元年は、 高見王の没年ともいわれ、 高見王の娘である平政子(真砂子・砂子)が 東国下向の折、相模国平塚で没した年でもある。 |
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| 水神社 | 千葉県東金市 関内 |
平高望が降雨祈願をして、当地方の守護神として祀る。 | |
| 平良兼館跡 | 千葉県山武郡 横芝町屋形 |
平高望が政務所を設け、館を置き、 子の平良兼を住まわせ、執務にあたらせる。 |
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| 龍寶山正光院 無量寺 |
千葉県山武郡 横芝町屋形 |
延喜元年(901)、上総介高望王により、 国家安穏祈願のため建立された来照院の後身という。 |
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| 帰命台館跡 (平高望館跡) |
千葉県香取郡 山田町府馬 字帰命台 |
伝・平高望館跡。 帰命台公民館及び菅谷家(伝・平高望墓所)の台地上に立地。 方形館であったといわれる。 この地で平高望は薨去し、現・菅谷家の大杉の根方に祀られる。 |
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| 平高望墓所 | 千葉県香取郡 山田町府馬 字帰命台 |
伝・平高望墓所。一説に平高望は府馬で薨去。 小祠が菅谷家邸内の大杉の根元にあり。 地元では、高望墓所としての認識は薄く、「府馬の大杉」 として認識される。大杉も2000年前後に倒れているが、 小祠の倒壊は免れる。 外見は、千葉県千葉市中央区の七天王塚のような古塚。 ※同地付近の宇賀神社境内に「府馬の大楠」があり、 著名であるが、別物である。 |
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| 滝前不動 | 千葉県 我孫子市 岡発戸新田 |
寛平年中(889〜898)、平高望が空海作の不動尊を祀る。 | |
| 蓑笠不動 | 千葉県 我孫子市 中峠 |
もともと滝前不動に祀られていた平高望ゆかりの不動尊が この地に移され、蓑笠不動として安置されていたが、 藤原秀郷の守本尊と称されるようになった。 |
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| 平貞盛の剣 | 茨城県 東茨城郡 小川町 |
平貞盛が平将門との戦いの時に身に付けていた刀は、 平高望伝来の刀剣という。 |
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| 高見王の持仏 | (所在不明) | 放光王地蔵菩薩の金像。 百済より渡った仏像を高見王が持仏とする。 のちに陸奥掾平正氏に伝わり、正氏室→正氏娘の安寿 →正氏の子・厨子王(平正道)に伝わる。 厨子王の素性を明らかなものとし、藤原師実の養女(師実室の姪)で仙洞の后の病を本復させ、正氏室の眼病を平癒させる霊験あり。 森鴎外「山椒大夫」に記述あり。 ※ 藤原師実の養女で仙洞の后 ・・・源顕房の娘で、藤原師実の養女。白河天皇中宮の賢子(堀河天皇の母)。 ※ 藤原師実の室は、源師房の娘・麗子(藤原道長の外孫)。藤原師通の母。 ※ 安寿と厨子王の話を、相馬一族の事項とする伝説あり。 |
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| 住吉山遍照院 金剛寺 |
福島県 いわき市 大字住吉 字搦町 |
開基である平政氏の守護仏の地蔵菩薩安置。 上記の高見王の持仏と同一か? |
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| 葛原親王の仮御所 |
| 葛原親王関連年表 |
| 平高望の子息について 概略表 |
| 平高望室 平良文母について |
| 八幡の藪知らず |
| 平公雅と浅草 |
| ちばっちのHP(紅葉通り) |