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平高望関連史跡

平成15年11月24日 設置
平成18年05月17日 更新

                                 
龍田大社
末社下座の
今御前の社
(高望王社)
奈良県生駒郡
 三郷町立野
龍田大社の境内末社。
高望王夫人を祀る。
住吉神社 岐阜県大野郡
 丹生川村
 折敷地
江戸時代の僧・円空作の、伝・高望王神像あり。
護法神像ともいう。
高王山城跡 群馬県
沼田市
石墨町・
発知新田町
嘉祥年間、葛原親王が迦葉山を開基した折、
葛原親王の家臣である迦葉田五郎を配置。

高見王・高望王(平高望)による築城説あり。
浄華山善福寺 群馬県
利根郡
片品村
大字花咲
字上山崎
開創は元暦甲辰年、阿甫上人呑空大和尚により開山。
開基は桓武天皇の皇子・多嘉見王(法諡・朝見院殿一品法親王尊位)。

元暦年間と、桓武天皇の皇子との年代差あり。
高見王(桓武天皇の孫)または、葛原親王との関わりありか?
平塚の塚 神奈川県
 平塚市
 平塚
天安元年(857)二月二十五日、
平政子(高見王の娘で、平高望の姉妹。真砂子・砂子ともいう)、
東国下向の際、相模国平塚で薨去。
政子を埋葬した塚より「平塚」となる。
宮前御霊神社 神奈川県
 藤沢市
 宮前
祭神;崇道天皇(桓武天皇の皇太弟・早良親王)・鎌倉権五郎景政・
    葛原親王・高見王・高望王。
天慶三年(940)、平(村岡・千葉)良文(高望王の子)により建立。
のちに鎌倉権五郎景政を合祀。
そののち、北条時頼(高望王の末裔にあたる)の命により、
葛原親王・高見王・高望王を合祀する。一説に、高座郡葛原皇子神社が、
村岡良文により分祀、「村岡御霊宮」が建立。
宮前御霊神社が「村岡御霊宮」であるといわれ、
村岡・鎌倉一族が勧請する御霊神社のもとになった宮という説あり。
八坂神社 神奈川県
 鎌倉市
 扇ガ谷一丁目
祭神;素戔嗚尊・桓武天皇・葛原親王・高望王・相馬師常
別称;相馬天王・八坂大神
平高望の末裔である相馬次郎師常(千葉常胤の子)により、
建久三年(1192)屋敷地内に牛頭天王を勧進。
もと巽荒神の地にあったが、江戸時代に現在地に移築。
恒持神社 埼玉県秩父市
 山田
平高望の弟・恒望王を祀る。

大同元年(806)、恒望王(桓武平氏の祖である高望王の弟)は武蔵権守に補せられ、
官舎を山田郷新木(恒持神社の地)に置き、神沢(横瀬村)にあった高斯野社を官舎近くに移す。
高斯野社は、勅定高斯野社の社名を賜り、恒持庄十五か村の総鎮守となる。
恒望王の薨去後、恒望王を合祀し、恒持明神と号する。
向嶽山光明寺 埼玉県秩父市
 山田
大同二年(807)に没した恒望王(桓武平氏の祖である高望王の弟)の冥福を祈る祈願所として、
恒望王の邸跡に建立された光明庵の後身。
西新木向殿(恒持神社の南側)が旧地。

大同二年に薨去した伊予親王(葛原親王の異母兄で、平高望の大伯父)との関連ありか。
下記の華台山永福寺の伊予親王伝説参照。
華台山永福寺
(西陽山永福寺)
(童子堂)
埼玉県秩父市
寺尾
大同二年(807)、三品式部卿伊予親王(淳和天皇の弟)の菩提を弔うため、遍照僧正が領主に命じて建立したという。

※伊予親王は、淳和天皇の異母兄であるが、伝承では弟とする。
  伊予親王は葛原親王の異母兄で、平高望の大伯父。
  遍照僧正は、良岑安世(伊予親王の異母兄弟)の子である遍照僧正(遍昭・良岑宗貞)と同一か。
 
大内沢 埼玉県東秩父村
 大内沢
恒持王が住した所という。
高貴山常楽院
(高山不動尊)
埼玉県飯能市
 高山
白雉五年(654)、長覚坊上人(藤原鎌足の子という)により開山。
秩父高篠に住した恒望王の子息により、追儺の法が伝わるという。
阿豆佐美神社 東京都西多摩郡
 瑞穂町殿ヶ谷
寛平年間(889〜898)、平高望の造営。
寛平四年(892)造営ともいう。
鎮守府将軍平良将が東夷征討に際し、祈願して勝利を得て、
太刀と二股の鞭竹を奉納。
平将門の絵馬あり。
阿波洲神社 東京都西東京市
(旧保谷市)
新町二丁目
上保谷新田が開かれた後、宝暦年間(1751〜63)に創建された神社。
もと粟嶋の字があてられ、「あわす」でなく「あわしま」と読む。
平高望を祀る。
信楽山宝樹院
無量寺
千葉県市原市
 八幡
寛平二年(890)、上総介平高望により、
父・高見王の菩提を弔うため建立。
平親王山
(菊間新皇塚古墳)
千葉県
 市原市
 菊間
平将門が居城を構えたとき、菊間を都の北野に擬し、南方に奈良を置く。
将門塔の旧地。
一説に平高望墓所。
上総国分寺
将門塔
千葉県
 市原市
 惣社
以前は平親王山(菊間新皇塚古墳)の墳丘部にあり。
平将門の供養塔と伝えられる宝篋印塔。
応安第五壬子(1372)十二月三日銘。
現在、上総国分寺仁王門脇にあり。
風邪に霊験あり。
一説に平高望の供養塔とも。
上総国 国府 千葉県市原市
(比定地諸説あり)
上総介平高望の赴任先。
上総国分寺
(医王山清浄院国分寺)
千葉県市原市
 惣社
 
上総国分尼寺 千葉県市原市
 国分寺台中央3丁目
 
上総国総社 千葉県市原市
(比定地諸説あり)
戸隠神社(千葉県市原市惣社)とも、
飯香岡神社(千葉県市原市八幡)ともいう。
成東八幡神社 千葉県
山武市
(旧山武郡
成東町)
大字成東
字根蔵
天安元年(857)葛原親王の第二皇子・兼高親王、故ありて下向。
天安二年(858)九月十一日、
兼高親王により一宇神殿を造り、神鏡を納め、勧請。

葛原親王による勧請説あり。

祭神:応神天皇(譽田別尊)、
    毘め大神(多岐津姫命・市杵嶋姫命・多紀理姫命)
    神功皇后(息長帯比賣命)
境外末社:疱瘡神社・浅間神社・日吉神社・愛宕神社・浅間神社・道祖神。

成東八幡神社の付近には、
延長六年(928)、平将門により堤「将門堤」が築かれたといわれ、
成東八幡神社には、平将門奉納の獅子一駆があったといわれる。

兼高親王が下向したといわれる天安元年は、
高見王の没年ともいわれ、
高見王の娘である平政子(真砂子・砂子)が
東国下向の折、相模国平塚で没した年でもある。
水神社 千葉県東金市
 関内
平高望が降雨祈願をして、当地方の守護神として祀る。
平良兼館跡 千葉県山武郡
 横芝町屋形
平高望が政務所を設け、館を置き、
子の平良兼を住まわせ、執務にあたらせる。
龍寶山正光院
無量寺
千葉県山武郡
 横芝町屋形
延喜元年(901)、上総介高望王により、
国家安穏祈願のため建立された来照院の後身という。
帰命台館跡
(平高望館跡)
千葉県香取郡
 山田町府馬
 字帰命台
伝・平高望館跡。
帰命台公民館及び菅谷家(伝・平高望墓所)の台地上に立地。
方形館であったといわれる。
この地で平高望は薨去し、現・菅谷家の大杉の根方に祀られる。
平高望墓所 千葉県香取郡
 山田町府馬
 字帰命台
伝・平高望墓所。一説に平高望は府馬で薨去。
小祠が菅谷家邸内の大杉の根元にあり。
地元では、高望墓所としての認識は薄く、「府馬の大杉」
として認識される。大杉も2000年前後に倒れているが、
小祠の倒壊は免れる。
外見は、千葉県千葉市中央区の七天王塚のような古塚。

※同地付近の宇賀神社境内に「府馬の大楠」があり、
  著名であるが、別物である。
滝前不動 千葉県
 我孫子市
 岡発戸新田
寛平年中(889〜898)、平高望が空海作の不動尊を祀る。
蓑笠不動 千葉県
 我孫子市
 中峠
もともと滝前不動に祀られていた平高望ゆかりの不動尊が
この地に移され、蓑笠不動として安置されていたが、
藤原秀郷の守本尊と称されるようになった。
平貞盛の剣 茨城県
 東茨城郡
 小川町
平貞盛が平将門との戦いの時に身に付けていた刀は、
平高望伝来の刀剣という。
高見王の持仏 (所在不明) 放光王地蔵菩薩の金像。
百済より渡った仏像を高見王が持仏とする。
のちに陸奥掾平正氏に伝わり、正氏室→正氏娘の安寿
→正氏の子・厨子王(平正道)に伝わる。
厨子王の素性を明らかなものとし、藤原師実の養女(師実室の姪)で仙洞の后の病を本復させ、正氏室の眼病を平癒させる霊験あり。
森鴎外「山椒大夫」に記述あり。

※ 藤原師実の養女で仙洞の后
   ・・・源顕房の娘で、藤原師実の養女。白河天皇中宮の賢子(堀河天皇の母)。
※ 藤原師実の室は、源師房の娘・麗子(藤原道長の外孫)。藤原師通の母。

※ 安寿と厨子王の話を、相馬一族の事項とする伝説あり。
住吉山遍照院
金剛寺
福島県
いわき市
大字住吉
字搦町
開基である平政氏の守護仏の地蔵菩薩安置。
上記の高見王の持仏と同一か?


葛原親王の仮御所
葛原親王関連年表
平高望の子息について 概略表
平高望室 平良文母について
八幡の藪知らず
平公雅と浅草
ちばっちのHP(紅葉通り)

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